2007年11月6日火曜日

【40days@2007】Day29 - 与えられた任務を受け入れる

「というのは、私たちは神の作品であって、良い行いをするようにとキリスト・イエ
スにあって造られたからです。そして神は、その良い行いをも前もって用意してくだ
さったのです。」(エペソ 2:10、NIV)

神様は、あなたの人生を通してこの世界に何か違いをもたらそうと考えておられま
す。多くのベストセラーは、人生においていかに多くのものを「獲得できるか」とい
うことに焦点をあてていますが、聖書の焦点はあなたがこの地上において如何に「与
える」かにあります。神がエレミヤに語られたように、あなたも「母の胎内に現れる
前から、特別な働きに就かせるために神に選ばれている」のです。あなたが「ミニス
トリー(奉仕)」を通して人に与えるようになること、それが人生の第四の目的です。

罪から救われたあなたは、「聖なる働き」に加えられたと聖書は教えています。救
いを得るために奉仕をするのではなく、罪責感や恐れ、義務感から神に仕えるのでも
ありません。イエスの犠牲により、過去の罪は赦され、現在には意味が与えられ、天
国にはあなたの場所と目的と果たすべき役割が与えられていることへの深い感謝と喜
びが奉仕の原動力なのです。救われている心は、人に仕えることを願い、愛の奉仕と
なって現れるはずです。神様は御自分の家族のメンバーは皆、ミニスター(奉仕者)
であるといわれます。天国に行くためだけに救われたのではありません。教会内にお
いてはミニストリー(奉仕)を、さらに全世界に向けてはミッション(宣教)という
神様の目的のために用いられるよう、あなたはこの地上に残されているので
す。

「あなたはフルタイムのクリスチャンの奉仕に召されている」と聞くと、宣教師や
牧師などのフルタイム教会スタッフになることを想像なさるかもしれません。あなた
がどんな仕事に就いていようとも、あなたはキリストの体の一部を24時間担っている、
必要不可欠な部分であると聖書は教えています。教会においては、大切でない働きな
ど存在しません。むしろ目に付かない小さな働きが、体全体の健康のためには欠かせ
ないものです。傍観者のように教会を眺めているクリスチャンは、機能しなくなった
体の一部のようです。あなたの肝臓が機能しなくなると体が死んでしまうように、あ
なたの奉仕なしには教会は死んでしまうのです。

クリスチャンにとって、奉仕とはオプションでもなければ、スケジュールの合間に
押し込むものでもありません。主イエスは「仕える」ために、そして「与える」ため
に来られ、その模範に倣うようにと、はっきりと命じられています。霊的成熟度は、
どれだけ「知っているか」ではなく「与えることができるか」によって測られると言っ
ても過言ではありません。どんなに良い影響をうけても、その受けたものを表現して
いかなければ、やがて衰退してしまうのです。水を取り込むと同時にきちんと水を流
しだしているガリラヤ湖と、水の流れがなく、湖自体がよどんでいる死海を比べてみ
てください。仕えるという行為は、生まれながらの性質に反するものです。しかし、
成熟したクリスチャンは「誰が私の必要を満たしてくれるのか」ではなく、「私は誰
の必要を満たすことができるのか」と考え、人々の祝福となるのです。あなたは、祝
福を受けるだけでなく、祝福を与える存在なのです。

奉仕は、永遠のためにあなたを備えます。いつか私たちは自分への投資と人に仕え
ることへの投資が比較され、神に評価される(申し開きをする)ことになります。「
自分の目標があったので」「老後の準備に追われていたので」・・・あなたの全ての
言い訳に対して神様はこうお答えになります。「そうではないでしょう。私はあなた
を創造し、救いに導き、召しだしました。そして人に仕える人生を送るように命じて
おいたはずでしょう。何か不明な点でもあったのですか」人は皆、自分の人生を、経
歴、趣味、名声、財産などの何かにささげています。しかし、奉仕こそ真の人生の意
義に通じる道であり、人生に意味をもたらします。かつて神様に用いられた人物は、
普通の基準からすれば見劣りする人たちでしたが、彼らが言い訳をやめたとき、神様
はそれぞれを御自分の働きに用いられました。あなたの言い訳が止む時、神に用いら
れる人生が始まります。

今日のポイント:奉仕はオプションではありません。

考えてみましょう:神に仕えるという召しを受け入れることを妨げているものは何で
しょうか?


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