「正しい目的のために用いていただくために、
自分のすべてを神に明け渡しなさい。」
―― ローマ6:13/TEV
思い浮かべてください。
あなたはドライブをし、輝かしいゴールを目指して花畑を走り始めました。
しかし、しばらく走るとあなたは道に迷い、不気味な森に入ってしまいました。
地図もなく、途方にくれたあなたの前に、イエス様が現れてこういいました。
「あなたの目的地に行くには、どんな地図も助言も役にたたない。
私だけがその道を知っているのだから。
唯一の方法は私があなたに代わって運転することだよ。
しかし、たった一つ条件がある。
私に任せて、もう自分でハンドルを握ろうとしないと約束してくれるかい?」
・・・あなたは何と答えるでしょうか?
ハンドルを握ってもらうことは、自分自身の命を捧げることです。
しかし、聖書ではこれこそが本当の礼拝だと言っているのです(ローマ6:13)。
でも本当にイエス様は信頼できるのでしょうか?
イエス様は、あなたを愛しておられ、決して離れず、
あなたよりもあなたのことを知っており、
物事をエンジョイする方であり、
あなたへの最高の計画があり、
今まで通ってきた過ちを帳消しにし、
忍耐強くあなたを生涯愛して終着点まで連れて行くと約束しています。
十字架を仰ぐとき、以上の全てを約束されたイエス様のあなたに対する愛をみることでしょう。
それでも私たちは「いや、まだまだ自分の力でなんとかなる。
自分の思い通りに運転できなくなるなんていやだ。」
と言って、ハンドルをいつまでも握ろうとするのです。
これをプライドといいます。
ハンドルを明け渡すということは、
神様に任せて自分はなにもしないということでも、
運命を信じることでも、
またあなたの知性や個性を押し殺すことでもないのです。
有名な神学者であるCSルイスはこういいました。
「私たちが自らを神にゆだねていくに従って、
私たちは本当の自分自身に帰っていく。
なぜなら、神が私たちをつくられたからである。
・・・私たちがキリストのもとに立ち返り、
自分自身を神に明け渡す時、私たちの個性は初めて息を吹き返すのである。」
では、イエス様にハンドルを明け渡した人の特徴はなんでしょうか?
まずその人は、従順です。
神様が望まれることであればどんなことにでも
「神様、分かりました。
自分では理解できないことですが、
あなたが言われるならやってみます。」
と応じる姿勢があります。
一度きりの決断ではなく、
一刻一刻、一生かけて自分を明け渡しつづけるのです(ルカ9:23)。
次に見られる特徴は、信頼です。
自分でなんとか人や、状況をコントロールしようとしたり、
自分の思いを無理に押し通して道を切り開くのではなく、
神様のタイミングと働きを信じることができるのです。
このような人は平安を得ます。
「神と争うのをやめなさい。
あなたが神に同意するなら、
あなたは平安を得ることができ、
全てが導かれていくのです。」
(ヨブ22:21,NLT)
また、解放されて自由になります。
「自分自身を神の御手にゆだねなさい。
そうすれば、あなたがたは自由になることができるのです。」
(ローマ6:17Msg)
そして、自分の力ではできなかったことが
神様の力によってできるようになり、
神様に用いていただくことができます。
聖書の中の勇者たちを見てください。
世界中で一億五千万人以上の人をイエス様へと導いた
20世紀の偉大なクリスチャンのリーダーであるビル・ブライド博士はこういいました。
「まだ若かったころ、私は神とある契約を結びました。
私はそれをきちんと神に書き出し、その紙の一番下のところに署名をしました。
そこに私は、
「今日から私は、イエス・キリストの奴隷(しもべ)です。」
と書いたのです。」
あなたのハンドルは誰が握っているでしょうか?
【今日のポイント】
礼拝の本質は、神様に自分を明け渡す(降伏する)ことです。
【考えてみよう】
神様にどうしても明け渡すことのできない部分はどこだろう?
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2007年10月18日木曜日
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