「神との友情は、神を敬う人々にだけ与えられる特別なものです。」
(詩篇25:14/LB)
あなたは、神様の子供と呼ばれているだけでなく、
神様の友(親友)となるために造られました。
その友情は、あなたが何か特別なことをして認められたからではなく、
ただ神様の一方的な贈り物であり、イエス様の十字架の犠牲のおかげです。
「これらのことは、キリストを通して敵であった私たちを
ご自分の友としてくださった神によるのです。」(2コリント5:18)
神様は、週一回教会で顔をあわせたり、ただ困ったときだけ
電話をかけあうような友情を望んでいません。
神様はこの友情を真剣にとらえ、情熱を燃やされる方です。
驚くことに、全世界を造った神さまが、ご自分のことをもっと知ってほしいと願い、
重要機密事項さえ分かち合おうとしておられるのです。
まるで、王様と親しくし、信頼関係を結ぶようなものです。
しかし、それが実感できない私たちのために、
聖書に出てくる神の友とよばれた人々の人生から、友情を築くための秘訣を紹介します。
●絶え間ない会話を通して友情を築く
自分にとって親友とよべる人を思い浮かべてください。
その人があなたの親友なのは、生活を共にしたり、
よく話したりするからじゃないですか?
神様との友情も同じように、あなたが生活を神様と
すべて分かちあうことによって築かれていくのです。
「絶えず祈りなさい」という神様の命令の意味は、
学校に行っているときでも、買い物をしているときでも、
仕事をしているときでも、神様と会話をしなさいということなのです。
あなたの活動そのものを変えるのではなく、
その活動に対するあなたの態度を変えるのです。
「神様はすべてを支配しておられ、あらゆるところに、
そしてすべてのものの中におられる」のですから、
あなたが普段自分のためにしていることを
神様のためにするように意識するのです。
長いお祈りは長続きしません。
短い言葉で、
「あなたは私と共にいます。」
「あなたのことを知りたいのです」
「あなたは私を愛し、決して捨てません」
など、短く神様がどんな方であるかを祈るのです。
この祈りの目的は、神さまをあがめることであって、
神様をコントロールすることではないこと、
また、自分が気持ちよくなるためではなく、
神様に喜ばれるためにそうしているということをとりちがえないように注意しましょう。
●絶え間ない黙想を通して友情を築く
黙想と聞くと、修道院の修道女たちが神秘的なお祈りをしている姿を思い浮かべるかもしれません。
しかし、黙想とは間単にいえば「集中して考える」ということなのです。
あなたは思い煩うことはありますか?
もしそうなら、あなたはもうすでに黙想の仕方を知っています。
視点を問題から聖書のみことばに移せばいいのです。
神様の親友とよばれた人物は、神様の御言葉を何よりも大切にし、一日中思いめぐらしました。
神様への詩をいくつも書いたダビデは
「御言葉はいつも私の心の中にあります。それは私の頭から離れません」
といっています。
そのダビデを神さまは、自分の心にかなった親友とよばれました。
みことばを思い巡らす習慣をもつ人に、神様は秘密を分かち合うようになります。
聖書を読んだり、教会のメッセージを聞いたりしたあと、
その内容を忘れてしまわないように繰り返しそのことを反復する習慣を身につけましょう。
小さなカードに短く御言葉を書いたり、
目に付くところに学んだことを書いておくこともひとつの方法です。
「神との友情は、神を敬う人々にだけ与えられる特別なものです。
神は、神の約束の秘密をそれらの人々とだけ分かち合われるのです。」
(詩篇25:14)
神様との友情は、イエス様を信じる人に贈り物として与えられますが、
それがどれだけ深まるかはあなた次第なのです。
【今日のポイント】
神様は、私の一番の親友になりたいと思っておられます。
【考えてみよう】
神様と会話し、視点を神様の御言葉に移すことができるために、
今日から何を始められるでしょうか?
2007年10月19日金曜日
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