2007年10月21日日曜日

【40days@2007】Day13 - 神様に喜ばれる礼拝

  
  「心と、思いと、知性と、力の限りを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」(マルコ12:30、NIV)
礼拝と聞いて、まず思い浮かべるのはきっと教会という場所だと思います。でも、実際のところイエス様は私たちが「どこで」礼拝するかということよりも、「なぜ」礼拝するのか、そして「どれだけ自分を神様に捧げているのか」ということをもっと注目しています。神様が喜ぶ礼拝とはどんなものなのでしょう?

  神さまは正しい礼拝を喜ばれる:サマリアの女(ヨハネの4章)が正しい礼拝について尋ねた時にイエス様はこう答えました。「真の礼拝者は、霊とまことによって父を礼拝します。」まこととは、聖書に書いてある通りの神を礼拝するということです。「神様は、サンタクロース」とか「神様は、うちの母親のようだ」などと勝手なイメージによって神様を誤解してはいけません。礼拝は、御言葉の真理に基づいてなされるべきです。

  神様は本物の礼拝を喜ばれる:あなたは心と体だけでなく、霊をもつようにと造られました。この霊を通してあなたは神様とコミュニケーションをもつのです。賛美などをしているときに、喜びや安心などの感情を体験したことはありませんか?「霊によって礼拝する」とは、このようにあなたの霊が神様の霊に応答することです。また、本物の礼拝にお決まりの礼拝スタイルはありません。最も良い礼拝のスタイルとは、あなたが一番自然に神様に対する愛を表現できるスタイルなのです。自然の中にいるときに神様を最も近く感じる人もいるでしょうし、一人で静まるとき、または人を愛し面倒をみることで神様への愛を表現する人もいます。神様は「ありのままの自分を正直にさらけだす人々を求めておられるのです」

  心がともなった礼拝を喜ばれる:時々、意味もわからずに「ハレルヤ」とか「アーメン」といっているときはありませんか?みんなが言っているからでしょうか?神様は、何度も使われている決まり文句で私たちが神様をほめたたえても、もし心が伴っていないのなら喜ばれません。考えてみてください。ある人があなたに「あなたはすばらしい人ですね」と10回繰り返し言ったとしてもあまりうれしくないでしょう。それよりも、たった2回「あなたの・・・なところが良い」と具体的にほめられたほうがうれしいですね?神様は、聖書の中で、ご自身の性質をいろんな名称を通して私たちに教えてくださっています。決まり文句でではなく、心から具体的に神さまをほめたたえるとき神様はほほえまれます。

  実際的な礼拝を喜ばれる:神様は、霊と心が伴った本物の礼拝を喜ぶことは分かりました。では、体はどうでしょう?聖書は「あなたがたの体を神に喜ばれる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。これが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝です。」といっています。「生きた供え物」として捧げるということは、あなたが日曜日だけでなく毎日神様のために生きるようになることです。生きた供え物ですので、祭壇からにげることだってありえるのです!また、礼拝を捧げるためには犠牲が伴います。感謝、賛美、悔い改め、献金、祈り、ほかの人に仕えるなど、どんな犠牲をささげることができるでしょうか?人に見せるためでも、自分を喜ばせるためでもなく、「力をつくして神様を愛する」には努力とエネルギーが必要です。自分がやりたいときに礼拝するのではなく、神様の喜ばれることに自分を合わせていくのです。

  「わたしはあなたに、歌以上のものをささげます。なぜなら、あなたは歌そのものを求めておられるわけではないからです。あなたは目に見える現象のさらに奥底を探られます。あなたは私の心の中を調べられるのです。」 (マット・レッドマン、「礼拝の心(Heart of Worship)」)

今日のポイント:神さまは私のすべてを求めておられます。

考えてみよう:「神様に喜ばれる」礼拝をするために、具体的に何を変えていったらいいでしょうか?


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